初海外一人旅から帰国直後の感想は「もう海外旅行はいいかな…」であった。
初めての1人海外旅行の行き先はサンタクロースとオーロラが有名な北極圏入り口にある街、フィンランド・ロヴァニエミ。
それが初めての海外旅行だったかというとそうでもなく、小学校入学前にタイのプーケットや韓国に行ったことがあるようだが正直記憶はほとんどない。
実質的にこのフィンランド旅行は初めての海外旅行といってもいい。
そんな海外不慣れ人間が、突如としてオーロラを見たくて見たくてたまらなくなり、パスポートを取得し清水の舞台から飛び降りる勢いでフィンランドへ飛んでみたら、終日曇天でオーロラの″オ″の字も見る事ができず、さらには冬場の短い日照時間に気分がどんよりしながら帰国したのだった。
今回は今ではある程度海外旅行に慣れてきた私が、初めての1人海外旅行を当時の感覚を思い出しながら、そして今の感覚を持ってして振り返ってみたいと思う。
過去の旅行記であり、最新の情報も有益な情報もないが微笑ましく暇つぶし程度に読んでいただけたら嬉しい。
目次
とあるブログで見た2枚の写真が全ての始まり
海外旅行にハマる前は車やアイドルなどにハマっていた。
特にアイドルに関してはかなり本気でのめり込んでいて、推しメンが「急遽明日〇〇で行われるイベントに参加することになりました!急だけどよかったらきてね!」などと言おうものなら即飛行機なり新幹線なりのチケットを取りホテルを押さえた後上司に「明日急遽イベントに行くことになったので休みます」などと伝えるという生活をしていた。
この事から元来フットワークは軽かった私が海外旅行にハマるのは必然だったのかもしれない。
そんなアイドル漬けの中、とある旅行ブログにのっていたロヴァニエミの街中とオーロラを写した2枚の写真を見た瞬間体中に電撃が走った。
美しい…すぐにここへ行こう。
たった2枚の写真を見たこの瞬間から私の海外旅行趣味が始まったのだった。
写真を見た翌日に旅行の手配が完了
国内移動はお手の物だった私だが、さすがに海外となると話は別で全くわからない事だらけ。
今であればスカイスキャナーでパパッと航空券を探しササっと予約しピピッとホテルを押さえるだろう。
だがそんな簡単に海外旅行ができると知らなかった私はフリープランで″一人部屋追加料金″がない旅行代理店を探し出し、航空券・ホテルに合わせて追加でオーロラツアーの手配をしてもらう事にした。
しかし「ネットから予約するのは怖い…」などと突如現代っ子らしからぬ思いがよぎり翌日池袋のサンシャイン60にある店舗へと向かった。
高層ビル内にあるオフィスからは東京の街を一望する事ができ、開放的な雰囲気の中親切丁寧な担当の方と手続きを進めていく。
予約は15分程度で終了
あまりのスムーズさに呆気に取られながらも、その足で最寄のパスポートセンターに行きパスポートの申請を行い、あとはパスポートを受け取り旅行当日を待つだけ。
ブログでロヴァニエミの写真を見て翌日にはロヴァニエミ行きが決定していたのだった。
後味がよくなかった初一人海外旅行の全て
記事冒頭でも書いたとおり初めての一人海外旅行は正直後味がよくなかった。
もちろん旅行中は楽しかったが、帰国直後は「まぁ海外旅行は当分いいかな」というのが率直な感想であったのだ。
ロヴァニエミは本当に素敵な街だったし、日照時間が短いのだって冬を選んで行ったのだから当然、オーロラは自然現象なのだから見る事ができない日があるのも当然である。
今となれば上手くいかない旅行こそ至高などと声高らかに発するものの、海外旅行など全く不慣れな状態でいきなり北極圏近くまで来た当時の自分はそんな事を楽しむ余裕はあまりなかったのだと思う。
旅行経験が積み重なった今行けばきっとロヴァニエミを隅から隅まで歩き尽くし、考えられるアクティビティを目一杯楽しむのにな…と、5年経った今でも″必ずやまた行きたい場所ランキング″で1位となっている。
初めて一人で乗る国際線に本気の緊張
出発当日、昼過ぎの便ではあるものの寝坊を恐れ成田空港内にあるカプセルホテルに前泊していた私は寝不足のままフィンエアーのチェックインカウンターへ行く。
英語だってまともに話すことなどできぬまま一人で自宅から7,500kmほど離れた場所に向かう、しかしあの綺麗な街に行く事ができるという、不安と楽しみからほとんど眠られていないレベルの寝不足だ。
今となってはなんて事のない搭乗手続きも、その後の保安検査も全てがドキドキである。
出国審査を通過した直後後ろを振り返り「もう引き返すことはできないのだ」と、さながら戦地に赴くかの如く覚悟を決めたのを鮮明に覚えている。

ヘルシンキ行きフィンエアーAY74便が待つ94番ゲート付近にはすでに人が集まっており、今まで少なかった外国人さんも多い。
この辺りですでにホームシックになる私。

しかし、手元にはピカピカのパスポートとヘルシンキ行きの航空券とロヴァニエミ行きの航空券がしっかりと握られており、絶対に引き返すことはできない。
覚悟を決めて機内へと乗り込む。
隣にはどんな人が来るのだろうとドキドキしていたら、驚くほど日本語が流暢で恰幅のいいスウェーデン紳士(後にうちの近所にある大学で講師をしていることが判明)がどっしりと着座し、出発後数時間はお手洗いに行くことができず辛い思いをした。
故にこの旅行以降全てのフライトでは通路側だけをチョイスするようになった。
飛行機が離陸し、私が住む千葉県がどんどん小さくなっていく。
サヨナラみんな
サヨナラ千葉
サヨナラ日本
まぁそんなことを思いながら、外を眺めていると機内食の時間となった。

驚くべきことに蓋を開けた写真がない。
今となっては蓋を開け(て一口食べた写真)た写真をしっかりと撮っているというのに、全くもってセンスの欠片もない。
それになにぶん大昔の話である、味も覚えてはいない。

デザートがスーパーカップだったのはかなり鮮明に覚えており、地上33000ftで食べる慣れ親しんだ味はホームシック気味の私を安心させてくれた。
ヘルシンキに到着フィンランド人とのファーストコンタクト
あっという間に乗り継ぎ地のヘルシンキヴァンター空港に到着する。
まずはここでフィンランドに入国し、その後国内線でロヴァニエミへと向かう。
たしか乗り継ぎ時間はそれなりにはあったはずだが、いかんせん初めての一人旅である、緊張が止まらない。
とにかく一心不乱にイミグレーションへと向かうと、まだ話してもないのに明らかに不機嫌そうな女性審査官に手招きをされる。
事前に調べていたようにパスポートを渡すと英語で何かを怒鳴るではないか。
いけない、私は英語がわからないのだ。
審査官は私の煮え切らない態度に完全に怒っているが、私としてもなぜ怒っているのかわからない。
周囲の審査官もわらわらと集まってきた。
その中の一人がゆっくりとそして確実にこう言った。
ドゥー・ユー・ハブ・リターンチケット
わかる!!!!!!ありがとう中学生の頃私に英語を教えてくれた桂子先生!!!!!
そそくさとE−Ticket控えを提出し、その後いくつもの質問をされ単語単語でどうにか会話をし、無事入国スタンプが押された。
自分の英語力の無さを棚に上げ「自分がよくわからない単語で捲し立てられるのって怖いな」などと考えながら一人トボトボと国内線搭乗ゲートエリアへと向かう。
ロヴァニエミ行きのゲートは機内の案内を見て写真まで撮ってある、間違えるはずはない。

ロヴァニエミ行きAY429便が待つ25番ゲートへ向かう。
誰もいない
パニックである。
カウンター上のモニターにも何もアナウンスはない。
ふらふらと歩いていると『AY429 Rovaniemi』とモニターに映された搭乗ゲートを偶然にも発見し事なきを得た。
オチも何もない出来事だが、これは今でも不思議な出来事の一つである(99.9%緊張しすぎた私が案内を見落としていただけだと思うが…)
そんなこんなで無事搭乗しヘルシンキを出発。
ちなみにこのフライトは終始眠っていたようで、見事に全く記憶がない。
憧れの地に到着初海外バスと初海外ホテル
前置きが長くなり大変申し訳ございません、ようやく目的地のロヴァニエミに到着です。
憧れの地に到着してもまだ試練は続く、荷物を受け取りその後は自力でバスに乗らなければならない。
今となっては造作もない行動だがこの時は胃が口から飛び出そうな緊張であった。
成田でレンタルしたポケットWi-Fiに電源を入れ接続を確認してから、呼吸を整え大きなスーツケースを引き空港から出る。
寒い
時刻は18時、外はすっかり陽が落ち真っ暗だが千葉在住の私は今まで見たことがないくらいに雪が積もっているのはよくわかる。
感動も束の間、バスに乗らなければならないのだ。
事前に調べた情報を頼りにロヴァニエミ中心地行きのバス乗り場へ向かい、チケットを購入し、恰幅のいい運転手さんに拙い英語でホテル名を言い、頷いてもらえたことにものすごく喜びながら乗り込んだことまでは覚えている。
正直この辺りの記憶がほとんどない。街の景色もほとんど覚えていない。緊張していたのだ。
バスに揺られること数十分、ロヴァニエミ中心地に到着した。
乗車時に伝えていた、ホテル名「オリジナル・ソコス・ホテル・ヴァークナ」を運転手さんがアナウンスしてくださり、降車する。
ここではしっかりと話さなければならない。そしてフィンランド人のファーストコンタクトはあの恐ろしい入国審査官である、自ずとありえないくらいドキドキしながらホテル内へと入る。
ハローマイネームイズゲンキアイハブリザベーション
そう言い英語の予約書を見せる。
Welcome Mr.GENKI!!
満面の笑みである。
自宅から遠く離れ不安と緊張で死にそうな私からしたら、泣きそうになるほどに優しく温かく恵みのような笑顔である。
ゆっくりと丁寧にわかりやすく絵やチラシを用いてホテル内の説明をしてくださり、どうにか理解したところで部屋へと向かう。

長旅を終え、荷物を放り投げ、上着と靴を脱ぎ捨ててベッドに腰掛け脱力する。海外旅行に慣れ親しんだ今でも一安心の瞬間である。
しかしこの時は格別だったのを今でも鮮明に覚えている。
ここですでにあまりの満足感がきており、旅行も9割が終わったような感覚であった。
しかしこの直後まだまだイベントがあっだ。
そう、大本命オーロラ鑑賞である。
オーロラのオの字もないままソーセージを食べて終わる
ホッとしたのも束の間、厚着をしてホテルを出てオーロラ鑑賞ツアーの集合場所であるサンタクロースホテルへ向かう。
サンタクロースホテルへは徒歩5分ほど。
ここで初めてゆっくりとロヴァニエミの街を観察する。

美しい。
全ての物がキラキラして見える。
憧れていた街の風景に心が温まる。
ここで初めて緊張が吹き飛び、楽しい気持ちが100%になるのであった。
そしてサンタクロースホテルに到着すると、ロビーにはすでに日本人旅行客が集合していた。
今回予約したのはモイモイバスツアーという、日本人ガイド付きの日本人向けオーロラ鑑賞ツアーで、オーロラが見やすいロヴァニエミ郊外へとモイモイバスで向かい、暖かいロッジで軽食を楽しみながらオーロラの出現を待つという素晴らしい流れ。
この時の参加者は20名ほどで、ほとんどが家族や友達と来ており一人での参加は私一人であった。もう一度言うが一人での参加は私だけであった。


ロッジの中心には焚き火があり暖かい。
その焚き火を囲うように座席やテーブルが配置されており、ドリンクやクッキー、焚き火で焼いたソーセージなどが出される。
時たま外に出て空を見上げるが、オーロラが出る気配はない。
この日は曇天だったのだ。
オーロラ鑑賞において曇天は最も相性が悪い天候である。
空を見上げど見上げどオーロラのオの字もない。
仕方なしに日本を発ってから機内食以外口にしていない私はロッジにて夢中でソーセージを貪る。
途中オーロラハンターのような雰囲気を醸し出した男性がスマホを片手に「今なら見えそう!」と叫び一同外へと飛び出すが外は変わらず曇天、「この人は信用しちゃならんな」と心に決めながらまたもソーセージを貪るのであった。
オーロラ鑑賞終了
終わりである。
結局オーロラは最後まで顔を出してはくれなかった。
そしてこの旅行中オーロラを見ることはできなかった。
初めて尽くしの街を淡々と歩く
翌日以降気を取り直して憧れの街を歩き尽くす。
丸一日歩ける2日間はひたすらうろうろとしていた。

夜とはまた違った顔をするロヴァニエミの中心地、ここはホテルの前のメイン通りで滞在中数十回往復した坂だ。
見ての通り路面がガチガチに凍結しており、転けそうになる度にフィンランドレディースアンドジェントルマンに驚きつつも優しく微笑まれた場所でもある。

ここはサンポセンターというショッピングモールで、中にはアパレルショップ、雑貨屋さん、ホームセンターなどなどなんでも揃っていた。

フィンランドまで来て、なぜか工具を買う奇行。

スーパーにも行く。
見たこともない商品達が並ぶスーパーは見ていて飽きることがない。
私を海外のスーパーマニアにしたのもロヴァニエミのスーパーだった。


まだまだ街を歩く。
メインストリートは雪かきがきっちりとされているが、一本中に入ると雪が残っていて北欧の冬を感じる。

日本料理店を見つけた。
北極圏近くでも日本を味わえるとは素晴らしい。

これはただの橋と見せかけて、ロヴァニエミの象徴とも言える観光スポットのろうそく橋である。

ちなみに夜はこんな感じにライトアップされる。
たしかにろうそくのように見える。



これはろうそく橋がかかる、ケミ川沿いの風景。
中心地とは打って変わり静寂に包まれていて人影もあまりなかった。
しかし治安の悪さを感じるというわけでもなく、静けさが心地よく感じた。
脂汗をかきながら注文する海外飯
今まで日本語以外で食事の注文をしたことなどない。
正直注文したくはなかったが、そんな事言っても何か食べなければ大変な事態に陥る。
意を決して人生で初めての海外飯を食べるためにドキドキしながら立ち寄ったのは、KOTI PIZZAというフィンランド国内でチェーン展開しているお店。
拙い英語で唯一スムーズに注文できそうな、マルゲリータピザのMを頼んだ。

でかいんだよなこれが。
本体の大きさもさることながら、一切れのサイズもバグっている。
しかし美味い…
無事注文できた安心と美味しさで、感激しながら食べたこの味を多分一生忘れないのだろうと思う。


フィンランドのファストフードというスキャンバーガーにも行く。
味もさることながら、コップだけ渡されて「ドリンクは勝手にドリンクバーで入れてな」のシステムがよく分からず右往左往した記憶が強い。
一杯だけ飲んだが、あれは飲み放題だったのかはたまたあれが正しかったのか結局今も分からず仕舞いである。
滞在先のホテルレストランでも食事をした。

フィンランドといえばなサーモンスープや

お上品なステーキまで。
ドキドキでピザを注文した自分が数時間後にはレストランで食事をしているのだから、我ながら成長著しい。
どちらも大変美味しかったのだが、この中でもステーキの付け合わせできたクリームポテトが最高だった。
ガーリック味がしっかりとついていて、チーズも溶けていてもうとにかく最高of最高。
今でもフィンランドで最も美味しい料理だと信じている。
すっかり慣れた最終日は出発の5時間前に空港へそして帰国
海外にすっかり慣れたものの、あっという間に帰国の時である。
チェックアウトの際、スタッフにタクシーを呼んでいただく。
チェックインする時はあんなに緊張していたのに帰りはタクシーをお願いするまでに成長する自分に感動である。
2分ほどで現れたタクシードライバーはこれがまた陽気な兄さんであった。
よくもまぁ話す。決して悪い人ではないのだろうがとにかくよく話す。
私も相槌を打つがきっと会話は成り立っていない。なのによく話す。
しかし唯一分かった会話があった。
「今から空港に行くのか!?まだまだフライトはないぞ!?そうだ、サンタクロース村には行ったか!?行ってないなら今から行こう!」
というようなことを申していた。
違う、サンタクロース村にはたしかに行ってないが、空港を歩きたいのだ。
ノーノーアイライクエアポート
などと話どうにか納得していただく。
無事空港に到着し陽気な運転手さんと別れる。
最後まで笑顔でいい方だった。本当によく喋る人だったけど。

さて、ロヴァニエミ空港はというと誰も人がいなかった。
空港内に旅客は私だけである。
空港内を散策しようと5時間前に着いたのが特に店もない。

特にすることもないので、暖炉チックなスペースに手続き開始までただただ座っていた。
これは今でもよくやってしまうのだが、いつも出発の5時間近く前に空港に到着し空港内を散策した挙句暇を持て余す。
そんな旅行の締めも嫌いではないがもっとスムーズに行きたいものである。
そして帰りは何の問題もなくヘルシンキまで飛び、無事出国し成田行き帰国便の搭乗ゲートに到着。
成田便搭乗ゲートの隣はセントレア(中部国際空港)行きのゲートとなっており、ほぼ同じ時刻から出発ということで日本人で溢れておりさながらもう帰国したような感覚になった。
しかしここで心配性が発揮される。
「これ間違えてセントレア行きの乗っちゃったりしないかな…」
旅行はもちろん飛行機に慣れた今考えればそんなことありえない。
路線バスではないのだから、私が間違えてセントレア行きの搭乗ゲートに行ったくらいでは乗り間違いなどそう簡単に起きるようなことではない。
しかし当時は本当に心配でそれは機内に入るまで続いた。
耐えきれず日本人であろうキャビンクルーの方に声をかける
この飛行機は成田行きで合っていますか?
恥ずかしい、恥ずかしすぎるぞ、思い出すだけで恥ずかしい。
成田行きに決まっているではないか。
万が一…いや兆が一セントレア行きだったとしてもセントレアに着いたら新幹線で東京まで帰ればいいじゃないか。
こんなありえない質問にも丁寧に「成田行きで間違いございません」と答えてくださったキャビンクルーさんには感謝してもしきれない
ホッとした私を乗せた飛行機はヘルシンキを飛び立ち、10時間程度で成田へと到着したのだった。

久しぶり(本人的には)に見る日本列島に安心し、旅行の終わりに後ろ髪を引かれることもなく呆気なく終わった。
海外旅行に疲れたはずが2ヶ月後タイに…
当時の自分なりには楽しかったし、憧れの地に行くことができて嬉しかった。
しかし冒頭でも書いた通り、終日曇天でオーロラの″オ″の字も見る事ができず、冬場の短い日照時間に気分がどんよりしていたのもまた事実であった。
もう海外旅行はいいかな…というのが率直な感想だったし、この後海外旅行にどハマりするとは夢にも思っていなかった。
が、この2ヶ月後今度はタイのプーケットにいたのだった。
「何となく暗い旅行だったから次は暖かいところに行ってみよう」という理由で次の旅行が決まった。
このフィンランド旅行を機に旅行人生が始まったのは言うまでもない。
今でもフィンランドへと飛んでよかったと心から思っている。
このご時世、簡単には世界へと飛び出せないが、世界へ行ってみたいと願っている人はこの騒動が落ち着いたらぜひパスポートを取って世界へ飛び出してみてほしい。
その行動力がその先の自分を変えるかもしれない。